内容 | 音楽情報サイト制作及び社内ネットワーク構築 |
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期間 | 2000年12月 − 2001年12月 |
OS | Linux, Solaris, Windows 2000 サーバ |
言語 | Perl, PHP, Java, シェルスクリプト |
アプリ | Apache, InpriseAppServer, IIS, BIND, Postfix, Windowsメディアサーバ, PostgreSQL, Oracle8i, Samba/Netatalk, FML, pcAnywhere |
ハード | Sun Enterprise220R, Compaq DL380, CISCO 2600/1600, Alteon AD3, Watchguard FireBox |
某音楽系放送局のウェブサイトの運営会社で、サイト制作及び社内ネットワーク構築を担当しました。
アーティストの新譜のリリースなどに合わせて、サイトで特集を組み、プロモーションをするサイトでした。
親会社が音楽業界にコネクションがあり、ユーミンなどメジャーなアーティストも扱ってました。
で、今思えば、かなり先進的なサイトで、アーティスト本人のブログ、アーティストの愛用品のオークション、アーティスト参加のチャット大会などを行ってました。
特に売りだったのが、プロモーションビデオの配信でした。
今のようにYouTubeはなく、ネットで音楽を聴ける(見られる)のは貴重でした。
ライブ会場に行ってライブの模様を中継するライブストリーミングもよく行いました。
当時はライブ会場にインターネット回線はまずなく、ライブストリーミングが決まると、会場にNTTのISDNを何本か引いて(ADSLはまったく普及してない時期)、ISDN回線を束ねて帯域を増やし(CISCOの高いダイヤルアップルーターを使ってましたが、資料がなく、設定に苦労しました)、データセンターにあるWindowsメディアサーバに送信、そこでリアルタイムにエンコーディングして、ウェブサイトから配信していました。
ちなみに、データセンターは事情から大阪の堂島にあり、サーバ工事のために大阪にはよく行きました。
リモートからifconfigコマンド打ち間違えてアクセス不能で大阪に行ったり、Code Redが流行って大慌てで大阪に行ったりですとか。
以上のようなウェブサイトの運営が自分の主な仕事でしたが、他に社内ネットワークの構築も大きな仕事でした。
会社が引っ越して新しいオフィスに移るので、そこのネットワークを作ることになりました。
主な内容は以下です。
- Linuxのルーター兼ファイヤウォールの設置
- DMZに社外関係者向けサーバを設置
- LAN内に社員向けのファイルサーバを設置
- (デザイナーがコンテンツをアップロードできるように)ISDNでデータセンターのサーバに直結で転送出来るシステムの作成
- 来客用のセグメントに無線LANアクセスポイントの設置
メインのインターネット回線は、引っ越し前のオフィスではOCNエコノミーという専用回線でしたが、(当時はOCNエコノミーは一般的だったのですが)128kbpsを共用という低速な回線なため、新しいオフィスでは今は亡き東京めたりっく通信からADSLを引きました。
ADSL開通工事の際は、めたりっく通信からエンジニアが二人も来てくれました。
無線LANも当時としては珍しかったと思います。
サーバの数は結構なものになり、かしめ工具でケーブルを何十本作って、誰もいないオフィスで一人で配線して回りました。
いよいよ引っ越しになり、自分の作ったネットワークが無事動いた時は大きな達成感がありました。
この会社ではいろいろと思い出深いことがありましたが、覚えていることをいくつか。
ある日、会社の営業の人が、このバンド、まだ無名だけど絶対流行るよとくれたデモCDがあって、聴いてみましたが、ボーカルの声が地味で(デモCDで録音が悪かったのかも知れません)、これは売れないだろうとCDはすぐにどこかに捨ててしまいました。
実は、それはバンプオブチキンの『天体観測』で、この後に大ヒットしたわけですが、あのデモCD取っておけば良かったと後悔しました。
ここの会社ではFMラジオを1日中流してあり、当時よくオンエアされていたのが、くるりの『ばらの花』でした。
これを聴きながら、サーバ作ったり、プログラム書いたりしてました。
この曲を聴くとと当時のことをしみじみ思い出します。