インターネット回線事業会社の社内ネットワークの構築管理

内容 インターネット回線事業会社の社内ネットワークの構築管理
期間 2001年12月 − 2002年12月
OS FreeBSD, Windows 2000 サーバ
言語 Perl, HTML/CSS
アプリ Apache, Postfix, BIND, PPML, AntiVir MailGate, Active Directory/DHCP/DNSなどWindowsサーバアプリ全般, RADIUS

某有名インターネット企業の関連会社で社内ネットワーク全般を担当しました。
この会社の業務はデータセンターでのインフラ構築でしたが、社内に大がかりなネットワークシステムがあり、その管理をしました。
社内サーバルームに5-6台のサーバラックがあり、サーバが20台くらい、大型のルータ、スイッチ、アプライアンスが多々ありました。
サーバの内訳は、ウェブサーバ・メールサーバが複数台の他、社員が社内LANにアクセスするためのダイヤルアップサーバとその管理のためのRADIUSサーバ、ウィルススキャンサーバなどでした。
ウィルススキャンを社内サーバで行うのは、当時としては珍しかったと思います。
社員は100人くらいでしたが、非常に人の出入りが激しく、様々な関係会社から社員が出向してきていました。
それらはすべてWindows2000サーバでドメイン管理していました。
それまではUNIX系OSしか経験がなかったのですが、ActiveDirectoryを利用したDNSやWINS、DHCPの管理は統合されていて便利で、オフィスサーバとしてはWindowsの方が使いやすいなと感じました。

この会社の社員は技術者の占める割合が大きく、管理職の人たちは日本のインターネット業界を創世したような人たちでした。
社内規則で終業時に日報を書いてメールで提出することになってたんですが、非常に提出率が悪い。
そこで技術部長さんが、日報の未提出者に提出を促すリマインダーメールを送信するバッチプログラムを書いてくれました。
このプログラム、ソースを見せてもらったんですが、200行くらいのawkで書いてあり、「awkでこんな長いプログラム見るの初めてだ!」と衝撃を受けました。
awkで書かれた業務プログラムに出会ったのはそれが最初で最後です。
その後、その技術部長さんにある仕事を頼まれ、Perlで書いて提出したら、「最近はPerlなんて流行ってるんだね」と、昔からUNIXを使ってる人にはPerlすら新参者の言語なのだと思い知らされました。

当時2002年。
会議室の大型プロジェクターで、みんなでワールドカップの日本戦を観たことが思い出です。

音楽情報サイト制作及び社内ネットワーク構築

内容 音楽情報サイト制作及び社内ネットワーク構築
期間 2000年12月 − 2001年12月
OS Linux, Solaris, Windows 2000 サーバ
言語 Perl, PHP, Java, シェルスクリプト
アプリ Apache, InpriseAppServer, IIS, BIND, Postfix, Windowsメディアサーバ, PostgreSQL, Oracle8i, Samba/Netatalk, FML, pcAnywhere
ハード Sun Enterprise220R, Compaq DL380, CISCO 2600/1600, Alteon AD3, Watchguard FireBox

某音楽系放送局のウェブサイトの運営会社で、サイト制作及び社内ネットワーク構築を担当しました。
アーティストの新譜のリリースなどに合わせて、サイトで特集を組み、プロモーションをするサイトでした。
親会社が音楽業界にコネクションがあり、ユーミンなどメジャーなアーティストも扱ってました。
で、今思えば、かなり先進的なサイトで、アーティスト本人のブログ、アーティストの愛用品のオークション、アーティスト参加のチャット大会などを行ってました。

特に売りだったのが、プロモーションビデオの配信でした。
今のようにYouTubeはなく、ネットで音楽を聴ける(見られる)のは貴重でした。
ライブ会場に行ってライブの模様を中継するライブストリーミングもよく行いました。
当時はライブ会場にインターネット回線はまずなく、ライブストリーミングが決まると、会場にNTTのISDNを何本か引いて(ADSLはまったく普及してない時期)、ISDN回線を束ねて帯域を増やし(CISCOの高いダイヤルアップルーターを使ってましたが、資料がなく、設定に苦労しました)、データセンターにあるWindowsメディアサーバに送信、そこでリアルタイムにエンコーディングして、ウェブサイトから配信していました。

ちなみに、データセンターは事情から大阪の堂島にあり、サーバ工事のために大阪にはよく行きました。
リモートからifconfigコマンド打ち間違えてアクセス不能で大阪に行ったり、Code Redが流行って大慌てで大阪に行ったりですとか。

以上のようなウェブサイトの運営が自分の主な仕事でしたが、他に社内ネットワークの構築も大きな仕事でした。
会社が引っ越して新しいオフィスに移るので、そこのネットワークを作ることになりました。
主な内容は以下です。

  • Linuxのルーター兼ファイヤウォールの設置
  • DMZに社外関係者向けサーバを設置
  • LAN内に社員向けのファイルサーバを設置
  • (デザイナーがコンテンツをアップロードできるように)ISDNでデータセンターのサーバに直結で転送出来るシステムの作成
  • 来客用のセグメントに無線LANアクセスポイントの設置

メインのインターネット回線は、引っ越し前のオフィスではOCNエコノミーという専用回線でしたが、(当時はOCNエコノミーは一般的だったのですが)128kbpsを共用という低速な回線なため、新しいオフィスでは今は亡き東京めたりっく通信からADSLを引きました。
ADSL開通工事の際は、めたりっく通信からエンジニアが二人も来てくれました。
無線LANも当時としては珍しかったと思います。
サーバの数は結構なものになり、かしめ工具でケーブルを何十本作って、誰もいないオフィスで一人で配線して回りました。
いよいよ引っ越しになり、自分の作ったネットワークが無事動いた時は大きな達成感がありました。

この会社ではいろいろと思い出深いことがありましたが、覚えていることをいくつか。
ある日、会社の営業の人が、このバンド、まだ無名だけど絶対流行るよとくれたデモCDがあって、聴いてみましたが、ボーカルの声が地味で(デモCDで録音が悪かったのかも知れません)、これは売れないだろうとCDはすぐにどこかに捨ててしまいました。
実は、それはバンプオブチキンの『天体観測』で、この後に大ヒットしたわけですが、あのデモCD取っておけば良かったと後悔しました。

ここの会社ではFMラジオを1日中流してあり、当時よくオンエアされていたのが、くるりの『ばらの花』でした。
これを聴きながら、サーバ作ったり、プログラム書いたりしてました。
この曲を聴くとと当時のことをしみじみ思い出します。